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境内散歩

当神社には本殿の他にも様々な神様をお祀りしております。

境内

お知らせ

境内

 皆様にたいへん可愛がっていただいた神鹿の「ちびた」が、去る令和3年3月30日、神様のお仕えとしてのお役目を全うして天へ帰りました。享年18歳くらいと推定され、天寿を全ういたしました。 ちびたは、「願いを叶えてくれる神鹿」として、たくさんの人々に愛されました。 これより先は天の大神様と共に、皆さまをお守り・お導きくださる事と存じます。 今までちびたをご寵愛して下さいましたご参拝の皆様に、心より感謝いたします。

新小岩厄除 間々井香取神社 職員一同


各場所の文字の上をクリックして下さい。それぞれの説明をご覧いただけます。

間々井香取神社|新小岩|神社|厄除

廻廊

本殿

經津主命(ふつぬしのみこと)をお祀りしております。
『日本書紀』の一書によれば、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が軻遇突智(かぐつち)を十握剣(とつかのつるぎ)で斬殺したとき、剣から滴り落ちた血液が天安河原(あまやすのかわら)にある五百箇磐石(いおついわむら)となりました。經津主命はその岩の御子神であるといわれます。 「フツヌシ」という神名は、刀剣で物がプッツリと断ち切られるさまを表す「フツ」と、神であることを示す「ヌシ」とからなり、この神が刀剣の威力を象徴する神であることを示しています。

神楽殿

神楽を奉納する建物です。舞殿(まいどの)ともいい、 お祭の時に神様にお見せする舞や楽を行なうところです。

鷲神社

大鳥神社とも称し、祭神は『ヤマトタケルノミコト』です。
例年十一月酉日に『新小岩のおとり様』と多くの信者に親しまれて盛大なお祭が行われます。
境内では福熊手(かっこめ)の授与があり、参拝者の家々の隆盛、商売繁昌をお守り致します。
酉祭の末日には、伝統の蟇目の舞神楽が奉納され福御縁の授与が行われます。

道祖神

当神社の道祖神は、『猿田彦の命』をお祀りしてあります。この村が創立した頃より、昭和三十五年迄現在の松島二丁目十番の地に鎮座されて居りましたが、土地整理の為当社の境内に移転になりました。

通行人の道を守ることと、村に悪霊の侵入を防ぐ為に祀られましたが、後に人体の筋を守ることもこの神様が司り、目、耳、足、腰の筋をお守りして居ります。
草履や食器の中に穴を空け、道祖神に奉納してその恢復をお祈り致します。体の悪い部分をよく撫でて参拝して下さい。

又、お正月の『どんど焼き』は、『どうそじん焼き』からの行事です。その他、道ケ島の旧地名等も『道祖が島』から転じた地名とも思われます。

稲荷神社

稲荷神社は『トヨウケヒメノミコト』をお祀り致し、当社は俗に『アリマイナリ』と申されて居ります。昔は今の松島三丁目二十七番にお祀りされて居りましたが、土地整理の為、境内に移転となりました。

例年初午を例祭と致し、稲荷講の行事がありまして、各村々の子供達が参加して一夜を楽しみました。
現在、祭典は三月一日道祖神と共に行われます。産業発展の神として日本全国各地にもお祀りされて居ります。

又、お正月の『どんど焼き』は、『どうそじん焼き』からの行事です。その他、道ケ島の旧地名等も『道祖が島』から転じた地名とも思われます。

水神社

水神社は『ミヅハノメノミコト』をお祀りし、昔より現在の松島三丁目二十六番に長くお祀りされて居りましたが、土地の整理の為、昭和三十五年に当神社境内に移転となりました。

六月十五日は、昔より祭日に定められて居りまして、農業の水利と船の安全を祈る祭として盛大な祭が行われて居りました。

平成元年より、上一之江大雷神と共に合同祭が執り行われます。

饅塚

左官の使用する鏝は人間が住居を築いて生活を営むようになってから体験により外的防御又は保温のために壁天井を塗るようになり、はじめは木製の鏝を使用しました。世の進歩と時代の要求に従い地金鏝刃金鏝ステンレス鏝が出来て今日では千余種類用途によって多種多様の鏝が使用されています。

鏝は左官の生命であり二千余年の永きにわたり左官と共に歩んで古代より現代に至る建築並びに左官工事に大いなる貢献をしてまいりました。
伝統ある「鏝」技能を伝承した江戸川区左官同業者の発起により東京都左官連合会会員一同が「鏝」の労を労い、感謝の意を表するためにここに鏝塚を建立した次第であります。

(昭和四十三年十一月三日)

大雷神

大雷神は、俗に「一之江の一つかみなり」と称され往古より当地の農業文化に深い貢献を施し深く信仰を重ね、その使命を果たしてまいり、東一之江村の福島家に江戸時代よりお祀りされてまいりました。

田植の季節には時々、北は日光より降りて来る雷、西は秩父の山々より降りてくる雷、南は太平洋の雷、東は筑波より降りてくる雷、これらの雷達が一天に集まり風雨をともない、ごろごろと威力を争い合い鳴り渡ります。

子供たちの教訓として「おへそを隠せ」の言葉の掛かる頃、此の時が大雷神の出番なのです。
耳をツンザク音と共に他の雷を征服して仕舞います。これが地域の人々の言う「一之江の一つかみなり」なのです。

六月十五日間近になると、この雷が出現、農民達は田植作業を終わらせて、この雷様のお祭に参加致します。それが農業の手休みの一日として楽しみながら、「オシャラク」の舞や出店がたくさん出て賑やかになります。其の日は講社の人々、近在の人々の参拝も数多くあり、あとを断たなかったのです。

昭和六十三年、この大雷神の世話人の不在の為、間々井香取神社と上一之江氏子総代一同の協議の結果、当社境内に遷碑致すこととなり、児童の教育と大雷神、間々井神社の信仰を深める為に、例年六月十五日には、水神祭に併せて例祭を復興することとなりました。

大雷神を奉斉して家内安全、家業繁昌、無病息災をお祈りいたします。

小松菜産土神

享保四年(一七一九年)八代将軍吉宗が鷹狩りの食事をする時、その場所として当神社が選ばれ、時の神主亀井和泉守永範がお役を受けました。

しかし、これといって差し上げるものもなく、餅のすまし汁に青菜を少々彩りとしてあしらって差し出すと、吉宗は大変喜ばれ、その葉をこの地にちなんで「小松菜」と命名されたと伝えられています。

小松菜ゆかりの里碑

手水舎

境内の四季

間々井香取神社の境内には、四季折々、様々な四季の情緒がございます。ぜひ足をお運びいただき、その風情を感じ取ってくださいませ。ゆっくりと掲載してまいりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

藤
藤 20年振りに咲きました
春 桜
春 桜
秋 紅葉
秋 紅葉
秋 曼珠沙華
秋 曼珠沙華